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2003年12月14日日曜日

会長杯・5年生

さて、6年生のコメント同様に、こちらの方も遅くなってしまいました。
その間、ワールドユースや東アジア選手権などでの日本人(というか日本代表)の闘い方を見て、色々と感じるところがありました。
そうやって、思いを巡らせていると、「自分はちょっと変わっているのかな?」と感じることがしばしばあります。
そういう思いは前からあったのですが、でもそれがつばさのカラーになっているんだからという自負のようなものもありました。
でも、本当にこれで良いのかな?
なんて事も最近思っちゃったりします…
どうする事が子ども達にとって一番良いのだろう…
悩みは尽きません…

まず、試合ですが、いつも(?)のように低学年の練習を終えてから、試合会場に向かいました。
1試合目には間に合わないかとも思ったのですが、多田小に着いた時にはまだゲーム中でした。
コーチ達のいる(狭い)ベンチにムリヤリ腰を下ろし、「今、何対何?」とスコアを聞いたら「0─0です!良くないです!」との事…

そして、その直後、WSCの右サイドの選手へパスが渡りました。
この選手がなぜだかドフリー!
しかも、ゴールへ向かってナイスコントロール!
そのまま落ち着いてシュート!
あっさりとゴールを奪われてしまったのです。
その時、会場にいたダレよりも焦ったのは、選手達ではなく自分だったと思います。
なにしろ、ベンチに座ったとたんに失点ですから…
「やばい、オレ、負けコーチ?疫病神?」とイヤな予感がしたものでした。

しかし、5年生はやってくれました。
鈴木コーチも掲示板に書いていますが、今までの5年生ならば、そのままズルズルと負けてしまう可能性が大でしたが、何とか同点弾を押し込みました。
その後、さらに1点を献上し、突き放されかけたのですが、ロスタイムでしぶとく同点に追いつき、PK合戦を制したのでした。

その後の決勝戦は、4─1とある程度安心してみていられる展開で、春に続いて中野区を制することができました。
冗談抜きで負けを覚悟した準決勝をひっくり返して(正確に言うと『ひっくり返す』まではいかず、追いついた)優勝をもぎ取った5年生は、勝負強くなったと思います。
優勝という結果と、勝負強さを見せた試合展開には、素直に拍手を送りたいと思います。

しかし…
しかしです!
最初に、自分がベンチに座った時のコーチの言葉「良くないです!」が表すように、試合内容は本当に良くありませんでした。
ここまでの5年生は、どちらかというとキレイなサッカーをする学年でした。
春の大会では、ちょっとした質の違いを見せつけるような内容で優勝しました。
でも、今回の準決勝以降は、何とか勝てたという感じのサッカーでした。

閉会式の時に、少年連盟の会長が「嬉しかった人は?」「悔しかった人は?」と聞いていました。
つばさの選手達は当然「嬉しかった人」に全員手を挙げました。
他のチームの選手達は、全員「悔しかった人」に手を挙げました。
ここで、会長がちょっと変化球を投げました。(自分は「ナイス、会長!」と思いました)
「では、優勝したつばさの選手の中で悔しかった人はいるかい?」
……誰も手を挙げませんでした。

この場面だけを見ると、優勝して万々歳!嬉しさで一杯です!
という感じに見えてしまいます。
訊き方を変えれば、違ったのかもしれませんが、優勝という結果のみに酔ってはいけないと思うのです。
6年生のところにも書きましたし、前回の春の優勝のところにも書いたと思いますが、満足してしまっては成長が止まってしまうのです。
優勝の余韻に浸る期間が終わった時で構いません、改めて自分のプレーを振り返り、今後の成長に生かそうとしている5年生がいることを期待します。

さて、話は変わりますが、ちょうどこの時期に前後してワールドユースと東アジア選手権が行われていました。(決勝戦当日はトヨタカップも…)
ワールドユースは、ベスト8という成績を残すも、ブラジルに惨敗…
また、それまでのゲーム内容も決して良いものではありませんでした。

ブラジルに負けた次の日のスポーツ新聞を見ると、「ブラジルの選手はお互いにパスを要求するし、試合中でも言い争っていた。自分たちは甘ちゃんだった」とか「プレーの形がない相手にどう対処していいか…。パニックだった」という選手のコメントが載っていました。
いくらユース年代といっても、ほとんどがプロ契約をしている選手であって、しかも日の丸をつけている選手がこのような状態とは…

ワールドカップバレーの時にも思ったのですが、どのスポーツの世界を見ても日本人選手のメンタリティには、自主性というものが感じられないのですが、それは自分だけでしょうか?
日本では、所謂「厳しい」「レベルの高い」という環境であればあるほどコーチが厳しく、また、そのようなコーチが歓迎されているような風潮もあると思います。
でも、そこから生まれるものは、コーチにやらされている選手なのではないかとも思うのです。
コーチに怒鳴られながらプレーする…
コーチに怒鳴られないようなプレーをする…
このような環境から、本当に強い選手は生まれないのではないかとも思うのです。

本当に厳しい環境とは、手を抜けば試合には全く使われなくなったり、簡単にクビを切られてしまったりという事だと思うのです。
日本の場合は、手を抜けばコーチが怒鳴ります。
でも、怒鳴られればすんでしまうのです。
「すみませんでした」と謝ってしまえば、また試合に使ってもらえます。
女子選手であれば、涙を流したりすると「泣き虫○○」なんてニックネームをつけられつつも、頑張っているなぁと美化されてしまいます。

私は、選手に対して鬼のように接するコーチは、実は非常に優しいコーチだと思うのです。
むしろ、優しすぎることで、選手の方も優しくなってしまっているような気もします。
本当に厳しいコーチは、手を抜いている選手を横目でチラッと見て、次のゲームから何も言わずに活きのイイ若手を使うコーチだと思います。
自分の勝手な想像ですが、このような競争意識を持たせる環境は外国に多いと思うのですが…

サッカーの世界に関していえば、南米の選手は皆、サッカーで成り上がろうとしています。
当然、(プロになるまで)手を抜くなんて事はないと思います。
新入りの選手に活躍されると困るので、絶対にパスを出さないとさえいいます。
選手全員がハングリー精神の固まりのようなものだと思います。

でも、ヨーロッパの経済的に安定している国でもメンタリティの強い選手はたくさんいます。
やはり、サッカーをやらされているのではなく、自分でやっているからでしょう。
サッカーが好きで、サッカーが上手くなりたいという純粋な動機だと思います。
そして、その動機が本当にしっかりしているのがトップの選手達だと思うのです。

さて、日本の選手達…
サッカーをやるというしっかりとした動機を持っている選手がどれだけいるか不安になってしまいます。
たしかに、日本は豊かな国です。
誘惑も多いです。
サッカーで成り上がらなくても、生活に困ることはないでしょう。
でも、だからこそ、「オレにはサッカーしかない!」という意識を持った選手が必要なのです。

ちょっと活躍するとマスコミで取り上げられ、アイドル扱いされてしまう日本の風潮にも問題はあると思いますが、それでもサッカーに対する気持ちだけは強く持ち続けなければいけないのです。
若い頃(中学、高校)の中田英寿は、非常に練習熱心で自分のプレー一つひとつに高いこだわりを見せていたとの話を聞いたことがあります。
当時、彼の年代には財前という天才プレーヤーがいて、中田英寿は財前の出したパスに走っていた「コマ」だったのですが…
その強いメンタリティが、今の彼を造ったとも言えるでしょう。
今は、「オイ!かかってこい!」とか「おまえ、金もらってんだろ!」なんて名ゼリフを審判に対して吐いてしまう、セレッソの大久保の行く末が気がかりでなりません…

さて、ここで話を戻しましょう。
もし、南米の子ども達だったら、決して今回の試合内容に満足していないと思います。
小学生の大会で優勝しても、プロになれないからです。
プロにならないとお金を稼げないからです。
プロになるためには、自分が上手くならなければいけないのです。

ヨーロッパの子ども達も、満足はしないでしょう。
南米の子ども達ほどお金が目的ではないでしょうけど、彼らは真剣にサッカーが上手くなりたいのです。
だから、チームの成績も大切ですが、一番大切なのは自分のプレー内容だということが分かっているはずです。

別に、つばさの選手達にプロになれとはいいません。
でも、上手くなるのも自分次第。
能力を腐らせるのも自分次第。
つばさのコーチ達は、あまり怒らないし、ハッパをかけることもありません。
でも、自分で頑張らなければいけないのです。
たとえ、それがサッカーじゃなくても…

育て、自主性&強いメンタリティ!(う~ん、またしても訳が分からん…)

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